命と向き合う体験記
2011.04.10.23:50
友人の家で、鶏を捌くと言うことで見学に。
前々から、子どもにも、自分にも命と向き合う機会を作りたいと思っていた。
友人が覚えていてくれて、誘ってくれた。
きっと見ているだけ、説明を聞くだけ、と思っていたら、きちんと私たちの
分まで用意してくれていた。その数六羽。一人一羽計算。
友人夫婦は、農業を営んでいる。養鶏もしていて、卵も販売している。
今春は雛を入れるのもあり、入れ替えの時期だそうだ。
そこで捌いて、命を頂く。
見ていた子どもたちは「最後まで飼えば良いじゃない」と言った。
そうだね、そうも出来るんだな。
でも、友人夫婦が今まで育てていた鶏を捌いて頂くことは素晴らしいと思った。
きちんと彼ら(鶏)の命と向き合っていると思った。
友人がやっているのを見せてもらって、その次に同じく見学に来た(予定の)
友人夫婦と順番にやっていく。
最初は「出来ない!」と思った。でも、自分も鶏肉食べている、そこで怖い、
嫌だ、と言うのはおかしいと思った。今まで食べていた鶏たちの分も向き合う
べき、と思ってやった。
時々、苦しい場面もあった。どんどん『生き物』ではなく『物体』になっていく。
見たことのある部位などあると、「ほっほー!なるほど!」と感動も出て来る。
食肉用の鶏ではないので、買う鶏肉よりも各部位が小さい。肉が締まっている
からだ。(食用の鶏は、生後半年以内に絞めるそうだ。しかも餌で丸々太ら
せて)
絞めて、お湯につけて、羽をむしって、皮をあぶって、各部位に切り分けていく。
とても大変な作業。こんなに作業がかかるのに、どうしてスーパーで売っている
鶏はあんなに安く買えるのだろう。裏に何があるのか、、、なんて友人たちと
包丁を持って目の前の作業に必死になりながら話す。

作業が終わって、皆で早めの夕飯。子どもたちは外を走り回ったり、鶏を見たり
してお腹ペコペコ。何処まで見てたかな。何を感じたのかな。変に大人が何かを
しなくても、いつか伝わる何かがある。その為にも今回だけで終わらせるのでは
なく、私たち夫婦で命と向き合う生活をしていくべきなんだと再確認。
作業中、何度も同じことを聞いて手間も時間もかかってしまった。
でも友人夫婦は嫌な顔ひとつせず、きちんと付き合ってくれた。
本当に有り難い。友人たちのお陰で、私の夢が一つまた叶った。ありがとう。
頂いた鶏肉で早速料理。

ガラでスープをとり、中華スープに。

ガラスープ、胸肉入りのシチュー。

もも肉は圧力鍋で甘辛く煮て。固めだけれど、すごく美味しい。
レバーも甘辛く煮付けて。
ハツと砂肝は炒めた後に塩で。
命と向き合った料理は、きちんと心を込めて「いただきます」を言った。
でもこれは毎日行うことだな。分かっていたことだけれど、きちんとやって
いなかったことに、反省。
大震災が起こってから、子どもたちのことを更に考える。
でも、やはり前から考えていた『生きる力をつける』ということは基本だ、と
思った。
何があっても、どういう状況になっても、自分で生きていける。
それはお金がある無いということではなく、勉強が出来る出来ないということ
ではなく、自分の力で知恵で、作り、生み出すことが出来るということ。
物質的な世の中だからこそ、スイッチひとつで何でも出来る現代だからこそ、
物質が無い状況で、スイッチが壊れた状況で、それでもパニックにならずに
対応出来る人間になって欲しい。そしてそれを教えるのは親の役目だと私は思う。
前々から、子どもにも、自分にも命と向き合う機会を作りたいと思っていた。
友人が覚えていてくれて、誘ってくれた。
きっと見ているだけ、説明を聞くだけ、と思っていたら、きちんと私たちの
分まで用意してくれていた。その数六羽。一人一羽計算。
友人夫婦は、農業を営んでいる。養鶏もしていて、卵も販売している。
今春は雛を入れるのもあり、入れ替えの時期だそうだ。
そこで捌いて、命を頂く。
見ていた子どもたちは「最後まで飼えば良いじゃない」と言った。
そうだね、そうも出来るんだな。
でも、友人夫婦が今まで育てていた鶏を捌いて頂くことは素晴らしいと思った。
きちんと彼ら(鶏)の命と向き合っていると思った。
友人がやっているのを見せてもらって、その次に同じく見学に来た(予定の)
友人夫婦と順番にやっていく。
最初は「出来ない!」と思った。でも、自分も鶏肉食べている、そこで怖い、
嫌だ、と言うのはおかしいと思った。今まで食べていた鶏たちの分も向き合う
べき、と思ってやった。
時々、苦しい場面もあった。どんどん『生き物』ではなく『物体』になっていく。
見たことのある部位などあると、「ほっほー!なるほど!」と感動も出て来る。
食肉用の鶏ではないので、買う鶏肉よりも各部位が小さい。肉が締まっている
からだ。(食用の鶏は、生後半年以内に絞めるそうだ。しかも餌で丸々太ら
せて)
絞めて、お湯につけて、羽をむしって、皮をあぶって、各部位に切り分けていく。
とても大変な作業。こんなに作業がかかるのに、どうしてスーパーで売っている
鶏はあんなに安く買えるのだろう。裏に何があるのか、、、なんて友人たちと
包丁を持って目の前の作業に必死になりながら話す。

作業が終わって、皆で早めの夕飯。子どもたちは外を走り回ったり、鶏を見たり
してお腹ペコペコ。何処まで見てたかな。何を感じたのかな。変に大人が何かを
しなくても、いつか伝わる何かがある。その為にも今回だけで終わらせるのでは
なく、私たち夫婦で命と向き合う生活をしていくべきなんだと再確認。
作業中、何度も同じことを聞いて手間も時間もかかってしまった。
でも友人夫婦は嫌な顔ひとつせず、きちんと付き合ってくれた。
本当に有り難い。友人たちのお陰で、私の夢が一つまた叶った。ありがとう。
頂いた鶏肉で早速料理。

ガラでスープをとり、中華スープに。

ガラスープ、胸肉入りのシチュー。

もも肉は圧力鍋で甘辛く煮て。固めだけれど、すごく美味しい。
レバーも甘辛く煮付けて。
ハツと砂肝は炒めた後に塩で。
命と向き合った料理は、きちんと心を込めて「いただきます」を言った。
でもこれは毎日行うことだな。分かっていたことだけれど、きちんとやって
いなかったことに、反省。
大震災が起こってから、子どもたちのことを更に考える。
でも、やはり前から考えていた『生きる力をつける』ということは基本だ、と
思った。
何があっても、どういう状況になっても、自分で生きていける。
それはお金がある無いということではなく、勉強が出来る出来ないということ
ではなく、自分の力で知恵で、作り、生み出すことが出来るということ。
物質的な世の中だからこそ、スイッチひとつで何でも出来る現代だからこそ、
物質が無い状況で、スイッチが壊れた状況で、それでもパニックにならずに
対応出来る人間になって欲しい。そしてそれを教えるのは親の役目だと私は思う。



