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「いじめ」から見えること

2013.03.16.10:56

“いじめを見逃さない長野県”を目指す共同メッセージ

長野県のホームページではこういうメッセージが載っている。

そして先日、息子の通う学校からいじめに関するアンケートが
来た。子ども向けのアンケートと、保護者向けのアンケート。

過去にいじめにあったことがある無いから始まり、誰にされたか、
何をされたか、事細かに書く欄がある。
その内容と言うのにすごく嫌な気持ちがした。子どもや保護者
側から一方的に責めるような結果にならないのだろうか。先生と
言う立場が危ぶまれる恐れは無いのか。相応の対応しかしなかった
先生には反省をして頂かなければいけないけれど、一生懸命対応
して下さっている先生も一括りにされないだろうか。

一意見として一言書き添えた。何て書いたかはっきり覚えていない
けれど、こういったアンケートでお互いが責め合うことのないように、
子どもを大人たちで見守れるように・・・みたいなことを。

教頭先生がすぐにお電話を下さった。きっと県には届かない声。
でも教頭先生と校長先生は読んで下さった。それで良かった、と思う。


このアンケート、県は取りまとめてきっと数字にして残すのだろう。
それは必要な数字となるのかもしれない。でも、数字にしてしまうと
何か違うところに持って行かれるような感覚になる。他人事になる
ような感覚もある。目の前の出来事ではないような。


いじめってそんな単純なものではないのを私は知っている。

中学1年の時、担任からクラス全員の前で私個人だけに卑劣な言動を
向けられた。今思えばいじめになるのか?どうなんだろう。
でも完全に感情的になった担任(男)は私を責め立てた。教育者と
して、子どもに対してそれで良いのか?という態度だった。と
今になって思う。

完璧な人間などいない。完璧な先生などいない。
子どもは完璧を求めているのではない。間違えることに対して
大人がどう示すか、謝るのか誤摩化すのか、責め立てるのか。
はたまたそれを指摘した子どもに怒るのか。子どもだって
バカじゃない。それを見極めている。


次に味わったいじめ。
中3の時、クラスメイトの女の子達10人くらいに一斉無視。
いつも一緒に行動していた友人たちも何も言わず避けられた。
中心人物の女の子がきっと何か私に対して嫌な気持ちになった
んだろう。それを言葉にして、そのまま無視・・・という形
だったのだと思う。
あれは辛かった。人生初めての登校拒否。後にも先にもこれが
最初で最後だった。

その時の担任(女)と教頭先生が家に何度も来て下さった。
担任は特にそのいじめに関して深く聴いてこなかったように
記憶している。クラスの誰が心配している、とか、受験のこと
とか。あとは世間話をしてさっと帰って行った。それが私には
救いで、1週間か10日で登校拒否も終わった。


誰がいじめて誰がいじめられたか、そんなことは私が復帰
してからは話し合いにはならなかったと思う。それで良かった
と思っている。そう言うのを皆で考えましょう!と言う雰囲気
の方が当事者にはキツい。

それに、いじめた人間に対して嫌な気持ちが残るのは最もだ
けれど、私にとってはいじめた人間よりも、その人間にそっと
ついて行った人間の方が卑怯だと思った。何も言わずにいじめに
加担し、何も言わずにいじめを終わらせて普通に話しかけて来る。
きっと彼女達はいじめに加担したという気持ちすら、ない。
ただ長いものには巻かれろと言う感じでいたのだろう。それが
一番タチが悪いと私は感じている。

ここがいじめの複雑さだ。いじめた人間だけが悪いとは言えない。
周りで何も言わなかった人間も、結果からしてみたらいじめに
加担しているという意識を持たないと、いじめは無くならないと
私は思う。


この意識の問題、きっと何にも通じているのではないかと思う。
ワクチン問題に然り、遺伝子組み換え食品問題に然り、TPP問題に
然り。原発や放射能問題もだ。

「自分には関係ない」「自分の子どもには関係ない」「難しいから
分からない」「頭悪いから分かんない」「便利だからそれで良い」
とまで言う人もいる。

関係ないなんてことはない。そこに無いのは頭ではなく想像力だ。
頭が良い悪いではない。自分のことに置き換えて、自分の子どもの
ことに置き換えて「想像できるか」。想像すらもできない人がこの
日本には増えているのだろうか。だったら本当に悲しい。


この日本、ましてやこの田舎に住んでいると、こんな激しいことを
考えてたり言ってると、『出る杭・・・』で非難されることもある。
当たり前だけれど、非難されたくてやってる訳ではない。出来れば
静かに暮らしたい。今までの経験で小心者の私はその辺でとても
「ビビリ」になってしまっている。

穏やかに暮らしたい。余計なことを考えないで子ども達とのびのび
生きて行きたい。

でも知ってしまった限りは、私は声を挙げて行きたい。子どもたちの
ためにも、自分のためにも。不器用かな、「ビビリ」だけれど自分に
正直にいないと気持ちが悪い。


自分のいじめの経験がここで生きている、そう思えるのだ。
そうだとするならば、いじめた人々に感謝しなければ、かもしれない。

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